2013年11月6日水曜日

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その4

その3にある「2家族」のうちの1家族のお父さんはよく知っています。
何度かお酒を飲みながら話をしたことがあります。
引っ越すにあたっては本当に悩まれていました。同郷の同世代はどんどん郷を離れ、町に引っ越し行きます。でも彼はその流れには乗らず、郷里での暮らしを選択し(長男だったので選択せざるえなかったのかもしれませんが)、結婚後も郷里で暮らしていました。でも子どもが大きくなるにつれ、子どもにせがまれるようになります
「大きい学校に行きたい!」「どうして通えないの?!」
これは親としてつらい言葉です。
これがまだ他に同じような子どもがたくさんいれば「ここからは通えないんだ。中学校まで待とう」と声をかけられるかもしれません。でも、その子はまわりの友達がどんどん町に引っ越すのを見てきているし、当然、親はそのことを知っています。
この話をしながら、ラグビー選手のように大きい体の彼が、身体を震わせ泣いていたのをよく覚えています。

彼にこの話を聞いて以後、地域の人に「どうして息子さんたちは他所で暮らすようになったのですか」と聞き回りました。
「勤め人になって、通勤が大変だから」「雪が多い地域だから冬の通勤が大変」という理由が当然多いのですが、中には「子どもをこんな小さな学校に通わせても競争がないからあかん。だから町に住まわせた」と言われる人も結構おられました。
思うに、「仕事理由」と答えた人の中にも少なからず「子ども(孫)理由」の人も多いと思っています。なぜなら、椋川からJR駅まで車で25分。学校のある地区からならば15分程度で駅まで行くことができます。大阪や京都まで通勤しているのであればいざしらず、高島市内の職場で働く人ならばそれほどの通勤時間ではありません。冬場にしても、除雪体制が整ってきているので、よほどの大雪でなければ朝の7時には道はしっかり除雪されます。確かに雪かきは大変ですが、この地域がそんなに「不便」な場所には私には思えないのです。

高度経済成長という時代背景はあったにせよ「競争しなければ子どもは育たない」という考え方がしっかりあって、こんな田舎に住んでいても「芽はでない」的な感覚が支配的だったといえます。
木材の価格も高かったので、山を売って、子どものために町に家を買った、建てた人はとても多かったのだろうと思います。

若者が地域から出て行ってしまったのは、「産業構造が変わって仕事が無くなったから」という社会的要因だけでなく、「地域に残った親たちが意図的に行った(行わざるえなかったのかもしれませんが・・・)」という要因も無視できないくらい大きいと思います。そして、地域に暮らしたいと願った最後の若者夫婦は、我が子の「大きい学校に行きたい」という声で、町にでる選択をせざる得なかったのです。

中山間地にある学校が加速度的に児童数を減らしたのは、このような構図があったのです。

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