2013年11月18日月曜日

第10回「おっきん!椋川」無事に終了

第10回「おっきん!椋川」無事に終了しました。
台風18号被害のとき、たくさんの方に支援・応援して頂いたおかげで開催することができました。「おっきん!」当日もスタッフはじめ、送迎バス運転のSさん、県立大学やECC学園高校のボランティアスタッフ、また各家でのお手伝い、キッズフリマの保護者の方などたくさんの方にお手伝い頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。おっきん!!!
当日は天候にも恵まれ、600名を越える方が来場されました。本当にありがとうございました。「おっきん!椋川」は主催者・出店者はもちろん参加者の方もお祭りの一員として楽しんで頂けるのを心がけて企画・運営を目指してきましたが、予想を超える来場者で指定駐車場は満車となり、路上駐車も多くなってしまいました。また早い時間に出店物が売りきれとなってしまい、楽しみにしていた料理や品に出会えなかった方もあったと聞いております。いろいろとご迷惑をおかけしたところもあったと思います。ただ来場者のかたも「みんなでつくる・おっきん!」をご理解していただいたのか、大きな混乱はなかったようです。
この経験を糧として来年の「おっきん!」に活かしていこうと思います。みなさん、本当におっきん!でした!!!

2013年11月14日木曜日

「おっきん!椋川」情報【ほぼ確定版!】

「おっきん!椋川」情報【ほぼ確定版!】
いよいよ11月17日に迫った「おっきん!椋川」企画がようやく決まったのでお知らせします!いつもの椋川のおばちゃん・おじちゃんのお店に加えていろいろなお店やイベントがあります。椋川とつながっている人たちがたくさん集まりますよ~!(椋川に縁のある個人や団体の方ばかりです。本当のつながりが生まれてるんですね~)
・「おっきんニンニク」と餃子
滋賀県で毎年開催されている「アディクションフォーラム」の実行委員会有志で、アウトドア活動として、椋川でニンニク栽培を試み、この夏収穫されたニンニクを販売します。また、このニンニクを使った餃子も販売されます。(指導養護施設退所者や社会的養護の必要な若者支援を手掛けるNPO法人「四葉のクローバー」が経営する「餃子屋竹の子」の餃子です)

・「天体写真撮影ミニ講座」
椋川にある天文台で「星空のソムリエ・中村真三さん(高島市在住)」が自身で撮影された天体写真の展示をされます。併せて天体撮影のミニ講座も開かれます。

・水彩画サークル「彩琶(いろは)」の水彩画展
高島市内で活動されている「彩琶」さんの水彩画展です。交流館で展示されています。

・記念撮影&「フェイスマップ椋川」by「ECC学園高校写真部?」
「おっきん!」来場者に無料で記念撮影!プリントしてお渡しします。
撮影された方のうち「フェイスマップ」掲示がOKの人は、その写真を「フェイスマップ」に貼り付けます。フェイスマップは大きな模造紙に椋川の地図が書いてあり、ライスセンター前に張り出してあります。それに写真を貼り付けることにより、どんな人が村の中を歩いているのかがわかるというもの。どんなマップができるか楽しみです~♪

・「草木染め体験」
椋川に自生するモミジの木を煮詰めて染液をつくり、布を染めます

・「キッズフリマ」
子どものみ出店するフリーマーケットです。手作りおやつ、カード、おもちゃ、コミックなどなど。バラエティに富むお店が並んでいます。

・「地機の縦糸直し」
交流館にある地機の縦糸が乱れているので、「近江昔くらし倶楽部」のメンバーが直しに来られます。興味のある方は是非覗いてみてください。

・「間伐材でお箸づくり」by「高島森林体験学校」
スギやヒノキの間伐材でマイ箸を作れます!バーニングペン(小さいはんだごて)で名前や文字を入れることもできます~♪

・「ドラム缶窯ビザ」
すっかり定番のお店になっています。今年も美味しいピザが焼き上がります!!

・「ECC学園高校軽音楽部ライブ」
12時~ECC学園体育館で行います。音楽好きの高校生のサウンドをお楽しみください。

・「佐々木拓人(クラシックギター)ミニコンサート」
昨年も演奏して頂いて好評だった佐々木拓人君(現・ECC学園高校生)のミニ演奏会です。交流館にて11時30分と14時から行う予定です(開催時間については当日会場で再確認してください)

・「モロコ」
椋川の休耕地で「ホンモロコ」の養殖しています。当日は、天ぷらなどを食べて頂けます。

・「未来郵便局」
未来の自分に(誰かに)手紙を書こう!
1年後に責任を持ってポストに投函します。1年前からの自分から届く手紙、なかなかおもしろいですよ!!

・「一輪車レース」(運搬用部門・乗用部門)
昨年は運搬用一輪車のタイムトライアルレースをしました。今年は運搬用に加えて、小学生がよく乗っている乗用の一輪車のレース(タイムトライアル)もしますよ~♪参加したい人は、乗り慣れた一輪車をもって来てくださいね~♪
12時半~14時頃開催。

・「スタンプラリー」
ゴールすると綿菓子と参加賞があります。(参加賞は数に限りがあります)
スタンプラリーのゴールは11時30分頃から受け付けます。

・「ノルディックウォーク」
ノルディックウォークとはボール(ストック)を使って歩く、新しいウォーキングスタイルです。ポールを使うことにより、足腰への負担が大幅に軽減され、転倒の予防にもなります。会場で30組分のポールを無料貸出しますのでご利用ください。(指導者はおりません。歩き方のポイントが書いてある説明書とともに、ストックをお貸しします)

・「レンタサイクル」
今年も観光協会の協力を得て、無料でレンタサイクルをお貸しします(利用にあたっては自己責任でお願いします)。例年10台を借りていましたが、今年は20台にアップ!是非、ご利用ください。

2013年11月6日水曜日

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その8

その3では「学校があるから地域が衰退する」というショッキングな書き方をしましたが、学校は地域にとってかけがえのない存在であることには間違いありません。

地域の運動会や文化祭が行われて、年に数回程度ですが、校区内の地域の多くの人が一同に会する機会を持つことができます。今津西地区では、学校行事だけでなく「ふれあいお楽しみ会」などとして、学校行事以外でも集まる機会を持っているくらいです。地域間の交流が大切であることの表れだと思います。

そして「子ども」という存在自体が持つ意味。「尊さ」と言っても良いのではないかと思います。地域に子どもがいて、学舎があり、そこで育つ、ということは「未来」を感じさせるかけがえのないものだと思います。ただこれを定量的に証明することは残念ながらできないのですが。
椋川には小学校はありませんが、今はECC学園という通信制の高校なっています。時々スクーリングで生徒たちがやってくると、授業のチャイムが鳴らされるのですが、「このチャイムの音がなんとはなしに嬉しいんや。生徒の声も一緒に聞こえたりするし、にぎやかでええの」と嬉しそうに話してくれるおばあちゃんがいます。チャイムの音にいろいろな思い出も重ね合わせているのだろうな、と感じています。

ただ、気になることもあります。
地域出身の子どもがいなくなると、学校への熱が少し冷めてしまう、という事があるように感じます。もちろんそれとは関係なく、熱心に学校のお手伝いを続けてくださる方もおられますが、総じて「冷める」傾向は否定できないと思います。というか、直接的に関わる地元の人がいなくなるわけですから、当然と言えば当然なのですが。

逆に考えれば、直接的に関わる人がいないにもかかわらず、学校へ関わり続ける地域の人たちが多いという事実から地域にとっての学校のかけがえのなさを感じ取ることができるともいえます。

~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~

この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その7

その6からのつづきです

この文書自体は、とても大事なことで、私たちが子どもが教育を受ける権利を保障するものです。当然なくてはならない書類なのですが、いざこの書類に印を押す、ということは、今まで椋川の人が大切に守ってきた学校を無くしてもいいですよ、と判断することに違いはありません。(形を変えて残るわけですが・・・)

たしかにこの段階では、「廃校にしてECC学園高校を誘致する」という集落内での合意もできていましたが、こんな大事な事の、しかも結論が決まっているのに最後に必要なのがボクのハンコかっっ?!

その6で割愛しましたが、椋川分校の歴史に少し触れさせてください。
椋川分校は昭和53年に建て替えられましたが、平成元年から生徒数がゼロになり、休校状態となりました。その後平成6年頃に、椋川分校の裏山が「椋川山の子学園」キャンプ場として整備されてキャンプ場の避難施設として、また今津町や近隣の小中学校の林間学校の会場としても活用されてきました。その間もずっと椋川区婦人会が月2回の割合で校舎の清掃、整備を続けてくださっていました。椋川の先人が作った学校を大切にしよう、子どもが来たらまたここで学んでほしい、そういう気持ちがこもっていたのだと思います。ECCの方が来られて、校舎を見学したときにあまりのきれいさに「本当に20年も休校だったのですか?」と言わしめるほどでした。本当に本当に大切にされてきた学校だったのです。

そいて、いよいよ椋川に子どもができて、子どもの声が響き渡るか・・と思いきや、そうとはならず廃校になってしまう。椋川の歴史と住んでいる人の思いがつまった学校を、地元で育ってもいないよそ者のハンコで決まってしまう。。。

地域の人の同意がすでにあったとしても、本当にこれは辛かったです。
現に、女房は「絶対に印は押さない。押すならあなたが押してね」と言いだし、これに関しては口もきいてくれませんでした。
最終的には、私が印を押すことになるのですが、これは今でも不幸な思い出として刻み込まれています。いくらECCが学校として成功して、椋川が元気になったとしてもしこりのように残ると思います。

それにしてもこの書類、地区全体の人からとか、該当地区の区長全部からもらうとか、そういう形にならないものでしょうか・・・。こういう書類には2度とハンコを押したくないです。

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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その6

じつは私、一つの学校を廃校にさせた経歴を持っています。
「高島市立今津西小学校椋川分校」です。
この学校は、現在、ECC学園高等学校という通信制の高等学校になっており、私の職場でもあります。

椋川分校の話をすると、それだけで5話くらいに話になりそうなので、大幅に割愛しますが、この学校は椋川出身の大谷仁兵衛さんが、大正時代に私費を投じて地元に校舎を寄贈された学校なのです。現在の校舎は、昭和53年に建て替えられていますが、地域の方の「おらが村の学校」という気持ちはとても強いのがよく理解できます。

さて学校が、統廃合されるときに誰の最終判断で決まるのか…?
教育委員会?市長?市町村議会?
じつは、その学校の学区内で暮らす子どもの保護者なのです。(こういう書き方が行政的に適当なのかはわかりませんが、わたしはそういうふうに捉えています)

私がこちらに引っ越した2001年当時、椋川分校にはすでに生徒はおらず「休校」の状態でした。ただ「休校」の学校は、あくまでも休ませているだけで、その学区域に生徒がいて保護者が求めれば、たとえ生徒数が一人でも「休校」を解いてそこに子どもを通わせることができるのです。

さて、もう7年前になるでしょうか、ECCが学校を作るために高島市や地元と協議を重ね、学校を作る方向で結論がでます(私もその協議を間接的に知っていました)。小学校を高等学校にするわけなので、「休校」ではなく「廃校」にする必要があります。椋川分校が小学校としての役目を永久に絶たれることを意味します。もちろん私の子どもが椋川分校で学ぶこともできなくなります。当時、椋川にいる子どもは私たちの子どものみ。増える見込みはありません(子どもを増やしたいという意気込みは120%でしたが…)。廃校になった場合、約6キロ離れた本校に通うことになりますが、椋川の環境とよく似ているし、すでに何度も学校行事に参加していて学校の雰囲気もよく知っていました。「歩いて通える学校に行けない」という残念さは大きかったですが、替わりにできるものも「学校」だし、椋川の自然や文化を活かして地域と人とも交流できるので、今後の椋川のむらづくりにもプラスになるだろう、という判断でモヤモヤした思いはたくさんありましたが廃校に「賛成」でした。

椋川分校が廃校となる方針が決まった後、ある日家に教育長さんが書類に書名捺印をしてください、と来られます。その書類は、「我が子を椋川分校に通わせない」という意思確認書(同意書?)でした。もし私がこの書類に印を押さなければ、廃校方針は撤回され、高等学校もできないということになります。
この文書自体は、とても大事なことで、私たちが子どもが教育を受ける権利を保障するものです。当然なくてはならない書類なのですが、いざこの書類に印を押す、ということは、今まで椋川の人が大切に守ってきた学校を無くしてもいいですよ、と判断することに違いはありません。(形を変えて残るわけですが・・・)

その7につづく


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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その5

小規模学校でやり玉にあがるのが運動会です。
全校児童6名の小学校では、50・80・100m走の競技はすべて一人で走ります。競走する相手は、自分。過去のベストタイムとの競走になります。広いトラック、をたった一人で走るわけですから、傍で見ていると寂しいことこの上ないことになります。
普通なら6人くらいが走って、1着から6着までの順位が決まる。1着を喜ぶ子、2着で悔しがる子、5着で居場所無さそうに肩を落とす子。何着になっても別に~という様子の子。この悲喜こもごもな様子(経験)がないとなにか寂しいというか、いずれ投げ込まれるであろう競争の海で大丈夫なのか、という心配がよぎってしまうのでしょうか...。

さてちなみに前回の運動会では、ヨーイドンで一人ずつ走り、長女はベストタイムに0.1秒届かず、長男はベストタイムを更新、という結果でした。
運動会が終わって、子供たちに、今日はどうだった?と感想を聞いてみました。長男は「一輪車に乗れるようになった!」で、長女のほうは「お弁当を食べるときに、村のおじいちゃんに『速く走れるようになったな、とほめられた』こと」と答えました。ベストタイムには届かなかったけれど、お弁当の時に横で食べていた近所のおじいさんは、去年より足が速くなったのを感じて褒めてくれたんですよね。

この言葉を聞いたときには「本当にこの学校でよかった」と心底思いました。
地域の中で暮し、そして自分もその人たちに見守られて育っているんだ、ということを子どもも実感できたと思います。

地域の教育力向上とか地域の絆づくりとか、地域の見守りリーダーづくりとか、散り散りバラバラになってしまっている地域コミュニティを再生させるべく、税金と労力を使っていろいろな試みが行われていますが、この過疎の山里ではそんな試みをする必要もなく当たり前に地域との絆をはぐくむことができると感じています。

人間、一人では生きていけません。協力し合うことはもちろんですが、自分が社会の中にいて、その一部として生きているんだ、という実感がとても大切です。働いていれば、社会的地位につければ、それでよい、というわけではないのです。働き盛りの人が、社会的地位にある人が自死することは珍しくありません。自死を選択する人の理由はいろいろあるでしょうが、社会の中で自分が生きているんだ、という実感がある人は、そう簡単には自死という選択はしないと思っています。

そうそう、10行くらい上に「当たり前」と書きましたが、住んでいれば当たり前に絆が育まれるか、といえばそうではないと思います。
親が地域とのかかわりを持ち、そのことを子供に伝え、その姿を見せる、これがなければ子どもが地域との絆を感じることは難しいと思っています。

ということで、広い運動場を一人で競走する姿を挙げて、「これでは可哀想だ」「こんなことでは競争社会を生きていけない」というご指摘には、私は同意できません。少なくとも私の子どもにとってはかけがえのない経験の場であると感じていますゆえ。

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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。
小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかってもらえるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その4

その3にある「2家族」のうちの1家族のお父さんはよく知っています。
何度かお酒を飲みながら話をしたことがあります。
引っ越すにあたっては本当に悩まれていました。同郷の同世代はどんどん郷を離れ、町に引っ越し行きます。でも彼はその流れには乗らず、郷里での暮らしを選択し(長男だったので選択せざるえなかったのかもしれませんが)、結婚後も郷里で暮らしていました。でも子どもが大きくなるにつれ、子どもにせがまれるようになります
「大きい学校に行きたい!」「どうして通えないの?!」
これは親としてつらい言葉です。
これがまだ他に同じような子どもがたくさんいれば「ここからは通えないんだ。中学校まで待とう」と声をかけられるかもしれません。でも、その子はまわりの友達がどんどん町に引っ越すのを見てきているし、当然、親はそのことを知っています。
この話をしながら、ラグビー選手のように大きい体の彼が、身体を震わせ泣いていたのをよく覚えています。

彼にこの話を聞いて以後、地域の人に「どうして息子さんたちは他所で暮らすようになったのですか」と聞き回りました。
「勤め人になって、通勤が大変だから」「雪が多い地域だから冬の通勤が大変」という理由が当然多いのですが、中には「子どもをこんな小さな学校に通わせても競争がないからあかん。だから町に住まわせた」と言われる人も結構おられました。
思うに、「仕事理由」と答えた人の中にも少なからず「子ども(孫)理由」の人も多いと思っています。なぜなら、椋川からJR駅まで車で25分。学校のある地区からならば15分程度で駅まで行くことができます。大阪や京都まで通勤しているのであればいざしらず、高島市内の職場で働く人ならばそれほどの通勤時間ではありません。冬場にしても、除雪体制が整ってきているので、よほどの大雪でなければ朝の7時には道はしっかり除雪されます。確かに雪かきは大変ですが、この地域がそんなに「不便」な場所には私には思えないのです。

高度経済成長という時代背景はあったにせよ「競争しなければ子どもは育たない」という考え方がしっかりあって、こんな田舎に住んでいても「芽はでない」的な感覚が支配的だったといえます。
木材の価格も高かったので、山を売って、子どものために町に家を買った、建てた人はとても多かったのだろうと思います。

若者が地域から出て行ってしまったのは、「産業構造が変わって仕事が無くなったから」という社会的要因だけでなく、「地域に残った親たちが意図的に行った(行わざるえなかったのかもしれませんが・・・)」という要因も無視できないくらい大きいと思います。そして、地域に暮らしたいと願った最後の若者夫婦は、我が子の「大きい学校に行きたい」という声で、町にでる選択をせざる得なかったのです。

中山間地にある学校が加速度的に児童数を減らしたのは、このような構図があったのです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その3

「学校があるから地域が衰退する」
???どういうこと???逆じゃないの???
と、100人中99人以上の人は思うはずです。私もその一人でした。
でも、この言葉、あながち嘘ではないのです。
というよりはむしろ、日本中の小規模学校の周りの地域で起こっている、と想像できます。でも、そのことを都会に住む人は想像だにできないし、また地域の人もあまり語ろうとしません。

「学校があるから地域が衰退する」
この理屈は簡単いうと以下のようになります。

①小規模学校がある

②子どもをそんな学校に通わせたくない

③でも、学区制があるから他の学校に通わすことは不可能(近くに私立学校があれば別)

④小規模でない学校の校区へ引っ越す

⑤子育て世代が地域からいなくなる

⑥ますます学校が小規模になる

②へもどる・・・・

なるほど、その通りなのです。ものすごいスパイラルですよね。

ちなみに私が椋川へ来てからでも2家族が、上の図式にしたがって駅に近い学校の校区へ出て行っています。

地域から人口が流出した理由は「産業構造が変わって仕事が無くなったから」だけではなかったのです。もちろん、これは大きなインパクトだったのは間違いないのですが、とどめを刺したのが上に書いたスパイラルなのです。

(その4につづく)

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その2

小規模学校となると、このご時世、統廃合問題が必ず降りかかってきます。私が椋川に引っ越してきた2001年、この学校はすでに全校生徒が10数名だったと思います。普通ならとっくに統廃合されていてもおかしくない状況ですが、この学校はそのような議論すら無かったようです。それというのも地域の方が学校を守ろうと、山村留学の子どもを受け入れたり、校区外からの入学を認める「山里通学」をしていたからです。山村留学の先進地へ地域の方が視察研修に行ったりもしたそうです。
現に、2001年当時の在校生のうち、地元生まれの子どもは半分くらいで、残りの半分は親子でこちらに越して来た子や、「山里通学」の子どもでした。ただ、子どもだけを受け入れる「山村留学」は、里親となる地域の方が高齢化などで受け入れる世帯が無かったようで、実現はできなかったと椋川のある方が話しておられました。

親子で移り住む「山村移住」の場合は里親の心配はなく、親子が一緒に生活するので実現のハードルは低くなります。でも、やはり問題はあります。家の確保や、親の仕事といったハードの面です。当時の小学校の校長先生がとても積極的で、親子の受け入れのみならず、空き家の確保や職探しに奔走されていたのをよく覚えています
とはいえ、家が見つかって親子が入ってもなかなか大変なのです。

入ってきた親子(特に親のほう)と地域の関係です。
子どもは学校さえなじむことができれば、順調にいくようです。ただでさえ子どもは適応力は大きいですし、仮に、人付き合いが苦手な子どもでも少人数の学校なので先生のフォローがしっかり行き届きますので・・・。
一方、親の方は難しい。私が知っているだけでも2世帯の親子が卒業を待たずに親の都合で転出していきました。
一方の家族は、父親の仕事が収入面で見つからなかったことと、母親が田舎暮らしになじめなかった事。
もう一方の家族は、家主の承諾を得ずに犬をたくさん飼育(ブリーダーとして)しはじめ、家主はもちろん地域の方とももめてしまい出て行くことになりました。
特に後者の家族を受け入れていた地域はその「事件」以降、家族受け入れの方針を180度転換して、「受け入れ拒否地区」となってしまっています。
もちろんうまくいっていた親子もあるので、上の例は個人的な選択ミスとも言えなくもないのですが、前者の家族の場合は、事前の十分な情報交換や準備ができていたのか、後者の場合は親子ー学校ー地域の連携がうまくとれていたのか、という懸念はあります。後者の場合は、地域の方針まで変えてしまった訳で、その後の学校の生徒増加の取り組みのブレーキになってしまったことは間違いありません。

とはいえ、成功と失敗がありながらも、地域の支えで小さな学校が統廃合の対象とならなかった事は紛れもない事実だと思います。