2010年10月21日木曜日

搦谷越えを整備します

11月7日(日)
椋川~朽木麻生へ抜ける「搦谷越え」を整備します。
詳しくは↓

「搦谷越え」・・・椋川集落と麻生集落を結んだ道を椋川の人は「搦谷越え」と呼んでいました。朽木の麻生はもちろん、木地山、地子原などの北川筋集落へのルートとして、椋川の人も頻繁に行き来があったようです。また小原谷から河内(福井県若狭町)へ抜ける「ゲベット越え」とつないで、若狭から朽木の北川筋集落への鯖の行商が通う鯖街道でもあったのです。しかし、途中にあった自在坊集落が廃村となってからは、道行く人も絶え、わずかに山仕事の人が通うだけの道となっています。今回、「搦谷越え」を往事をしのべる道として整備します。

お手伝いを大募集しますので、ご参加くださいませ。

ちなみに昼食は、搦谷の道でお釜でご飯炊いて、みそ汁をつくってしまおう!という野性味たっぷりな企画をする予定です。



2010年10月14日木曜日

稲藁の行方

こんなコメントをいただきました。
こんにちは、質問が有ります。これだけ日本中、米の収穫が有るのに稲藁が貴重なのはどうしてなのですかね?
先日、高島市の“畑の棚田”を見てきました、ガードレールなどに脱穀したあとの稲藁が干してあり、あれは何に使うのでしょうか?」

「稲藁が貴重」というのは、「稲藁をすべて田んぼに還している」からです。下の写真を見てください。
コンバインの後部がすこしかすんでいるように見えませんか?ホコリを巻き上げているような感じというか・・・・。
実はこれ、稲藁が細かく裁断されてがコンバインから排出されているのです。コンバインは根本から稲を刈り取り、籾と稲藁とに分けます(脱穀作業)。籾はコンバイン内のタンクに貯められますが、ワラの方はカッターで細かく刻まれてしまい、田んぼに撒かれていきます。ですから稲刈りが終わった田んぼを見ると、5cmくらいに刻まれたワラが一面に敷き詰められていますよ。
もちろんワラも有機物なので、土の中で分解されて、翌年、翌々年の稲の成長に使われることになるので、「捨てている」という表現は正しくないと思われるので「田んぼに還えす」というふうに書いたのです。

昔は手刈りをしていて、籾をつけた状態でイナキで干していたので、ワラも乾燥した状態で手に入りました。ワラ縄はもちろん、草履、ワラジ、雪靴、蓑(今で言う雨カッパ)などワラを材料にして作っていましたし、使役牛の冬場の餌にも使っていました。だからワラは昔も貴重品で、田んぼに還すことすらできなかったのです。

「ガードレールに干されたワラ」はおそらく、しめ縄などを作るための材料や、手刈りをした稲を束にくくるためのワラ(来年の稲刈りの時に使う)などに使うのではないかと思います。
ちょっとした物をくくるときに、ワラは本当にべんりなんですよ。




2010年10月7日木曜日

ようやく脱穀終了

稲刈りの後、雨の日が多く、なかなかできなかった脱穀。
ようやく10月6日にすることができました。

ハーベスタという機械で脱穀するのですが、2時間くらいでこの通り。
イナキのイネがすっかり無くなってしまいました。
イナキの骨組みだけになってしまって、寒そうに見えます。
組み立てたときには、「寒そう」なんて思わないのに人の気持ちって不思議ですよね。

ワラは必要な分以外は燃やしてしまいます。
刻んで土に還えしてもいいのですが、椋川は気温が低くて、イネはなかなか分解しません。
土の中に入れてしまうと、嫌気発酵してメタンガスが発生し、イネの根に発育障害を起こしてしまうのです。