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2016年6月19日日曜日

子どもを信じる覚悟

静岡県富士市で冒険遊び場をされている渡部達也さん・美樹さんのお話を聞くことができました。
http://www.h6.dion.ne.jp/~playpark/
https://www.facebook.com/taccyannmickey.yumemachinet?fref=ts

冒険遊び場、ということで自然の中で「のびのび遊ぶ」というお話かと思いきや、「子どもの貧困」や「いじめ」「生きづらい子どもたち」のお話し。渡部さんの冒険遊び場は「遊び場」というよりも「居場所」的な意味合いが大きいのだと感じました。
私もこのような居場所をつくりたいと思っている人間として、すごく共感したのが「子どもを信じる」という覚悟です。
少子化の影響で子どもの数が減った結果、大人たちは子どもたちを”コントロール”しやすくなっていると思います。”管理しやすい”といったほうがわかりやすいかもしれません。何しろ子供たちだけで勝手に姿をくらまして遊びに行ってしまう、ということが極端に減っているからです。子どもが巻き込まれる犯罪も多くなり、治安上の問題から子どもを塾やスポ少、お稽古事などに通わせているという事情もあるでしょうが、要はそうやって子どもたちの時間を”コントロール”しているわけです。
その影響があるのか無いのかわかりませんが、学校の先生や親ですら信じることができない子どもが増えている、と言われる昨今。
渡部さんのように覚悟を決めて子どもを信じてとことん付き合う大人の存在はとても貴重だと思いました。
高島でもそんな場所をぜひ作りたいですね(^^)/


2016年3月9日水曜日

恩返し

今日は一人の若者が我が家に泊まっている。
なんでも名古屋から鳥取の境港まで原付で移動しようとしているらしい。
本当はもっと走っているはずなのだが、今朝からの寒さで、低体温になってしまい、今津のガソリンスタンドでヘルプ。そのスタンドで働いている友人から連絡があり、彼を一晩泊めてあげることになった。
聞けば、専門学校に通っていたが、卒業まであと一年ということろでお金が無くなり、1年間休学して仕事をして学費を貯めて、この春から復学するのだそうだ。1年間仕事をした名古屋から、学校のある福岡まで移動する途中なのである。なかなかの苦学生だ。
境港まで320キロ。金曜日の朝までにつけば、境港から福岡まで移動するトラックに原付ごと乗せてもらえるらしい。
それにしてもこの寒い時に320キロを走るのは、かなり危険だ。途中にはきつい峠がいくつも控えている。僕も大学生のときに原付で京都~米子を1往復したが、暖かい季節だったにも関わらず相当に苦しかったのをよく覚えている。
親父が米子に住んでいるので「彼に何かアクシデントが起こったら電話かけるように言っても良いか?」と親父にお願いしたら、すぐに「もちろん!遠慮なく電話するように言ってくれ。夕食一緒に食べてもいいな」と即答。さすが俺のオヤジだ(笑)
それにしても、こうやって人の世話になることは大切だと思う。迷惑をかけている、と言ってしまえば身もふたもないが、他人に親切にしてもらえた経験があるからこそ、他人に親切にできるのだと思う。僕もたくさんの人に迷惑をかけ、そして親切にしてもらってきた。今日はその人たちに少しだけ恩返しができた。

2016年2月4日木曜日

糀を育てながら思う事②


~情報がリアルタイムに細かくわかることによって・・・
糀の温度を測るのに最初は普通の温度計を使っていましたが、温度管理している室をいちいち開いてみなければならなかったので、デジタルの温度計を買いました。温度センサーはコードの先についているので、室を空けることなく、しかも0.1度刻みで計測してくれる優れものです。これが1000円ちょっとで買えるのですから、お手軽です。これで室の中の温度はもちろん、室の中の袋に入っている糀の温度までリアルタイムでわかるので、作業のタイミングの判断がやりやすくなります。
一見いいことずくめのようですが、これが意外にそうではないこともありました。
①いつでも温度を把握できるので、神経質になってしまう
例えば、室を空けて作業をして、作業が終わり、室を閉めます。すると外気の温度が流れ込んできているので当然しばらくは温度が下がっていきます。本当は上がらないといけないのに・・・。ちゃんと温度が上がっていくか心配になって、温度が下げ止まるまで見届けなくては気持ちが収まりません。温度計の表示をじっと見つめてしまう時間が増えてしまいました。
こちらの意図と違う温度変化までわかってしまうので、そういう情報をキャッチすると不安になってしまうのです。
②わかった気になる
糀を育てるには、温度や時間だけでなく、香りや味、色なども手入れ作業をするタイミングの判断材料になります。でも温度の変化を詳細に、しかもリアルタイムで知ることができてしまうことによって、その情報だけで糀の状態を「わかった」気になってしまいがちです。
①も②も経験を積んでいくと、デジタル温度計の数字だけで一喜一憂するようなこともなくなっていくと思います。
何しろ糀は3日でできあがるので、短時間のうちに経験を積むことができます。実際、私も少しは糀の気持ちがわかるようになってきて上に書いたようなことはなくなってきつつあります。
話は変わりますが、この話って子育ての悩みとよく似ているような気がしますよね。

2016年2月1日月曜日

糀を育てながら思う事①


糀の面倒をみていると、赤ちゃんの面倒をみているかのような気持ちになります。
糀は主に温度で状態をみるのですが、この温度の上下で「ほっ」としたり、心配になったりします。上がり過ぎると品質が悪くなるし、下がり過ぎると発酵が進まないからです。
例えば、糀造りの工程に「種切り」という作業があります。
蒸した米を35度くらいまで冷まして種糀をまくという作業です。蒸し米の温度が高すぎると糀菌が死んでしまうし、逆に低くし過ぎると米の温度を上げるのが大変で発酵がうまく進みません。
温度計で時々確認しながら、蒸し米をひろげて温度を下げていきます。そして目標の温度近くになると、種糀をまいて蒸し米と混ぜ合わせ、袋に入れて室の中に入れます。袋の中には温度計が仕込んであって、しばらく様子を見ていると、温度がさらに下がるのですが、時に想定温度よりも下がることがあります。こうなると今度は慌てて室の温度を上げたり、袋の毛布を包み直したりして糀の温度を上げようとします。
さっきまでとは真逆のことで心配して、まさに右往左往している自分に気が付いて滑稽な気持ちになります。
恐らく経験を積んでいくと、こういうことは無くなっていくのでしょうが、この慌てぶりが初めての赤ちゃんの世話をしている時と似ているなぁ、と思うのです。
おっと、夜中の1時近くですが、今から糀の温度を見に行ってきます(笑)
これだから糀造りが面白いんですよね~♪

2016年1月31日日曜日

高浜原発が再稼働で思うこと

高浜原発再稼働。
電気料金は下がるだろうけれども、本当にそれでいいの?
未だに処分先が無い「核のゴミ」を深海に埋めてしまおう、という案まで出てきた。素人目に見ても、安全性に疑問符だらけの案に頼らざる得ない原子力発電所を動かすのは、どう考えても理屈に合わない。

子どもや孫や、いや100年先の人間たちが私たちを「何てことしてくれたんだ!」ってことに成りはしないか。本当に心配だ。
そしてさらに気になるのが、世論調査では「再稼働に反対」と答える人は過半数を超えているにも関わらず、この静けさ・・・。
これが本当に気になります・・・。
「いろいろ思いはあるけど、慎ましやかに生きる」という美徳のようなものから来るのかもしれませんが、もしかすると「何か」を守って意思の表現を控えているのかもしれません。
そこで一つ、気になるページがあったので紹介します。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47501

<以下、本文より転載>
「立場っていう単語は、他の言語に翻訳できません。日本独特のもの。それが日本人をがちがちに縛り付けて”自分でないもの”にしている」
「立場を失くす、立場を守る、立場上できない……何の疑問も持たずに、私たちが普段使っている言い回しだ。しかし、「立場」とは何か、いざ考えてみると、上手く説明できないことに気づく。立場にいる“私”は“私”ではないのか?立場って、一体、なんだろう?」

2016年1月28日木曜日

糀で夢を語る

縁あって安曇川の糀屋さんから糀の作り方を教わって、今も試行錯誤中ですが、この糀造り、椋川の特産品にしたい、という思いもありますが、高島の中でもっと広めていきたいと考えています。新規就農者の冬の仕事にぴったりだからです。
もっと言えば、「高島の子どもは小学生の間に1度くらいは家の味噌を仕込んで食べてるよ」くらいに考えています。
ちょうど小学3年生で「すがたをかえる大豆」という国語の教材があるのですが、それに合わせて親子で味噌を仕込む。もちろん大豆も糀も高島の材料で。そんなふうにできたら大豆や糀の需要も増えるから、新規就農農家の冬の仕事も増えて、農業を志す若者が増えて、若者移住者が増える・・・みたいな。
もちろんそんな単純なもんではないでしょうけど、日々使う味噌を自分の手で作って食べる、という経験は素晴らしいことだし、それを当たり前にできる高島にしたいですよね!

2015年10月20日火曜日

カメムシの天敵は・・・

この時期になると、越冬のために家の中に入ってくるのがカメムシ。
動きや仕草は、なかなか可愛いのですが、いかんせん臭いが強烈です。外で干している洗濯物に潜り込んでいて、うっかり袖に腕を通すと強烈な香りの分泌物を出します。
あまりに臭いので「カメムシの天敵なんかおらんのやろなぁ………」と思っていたのですが、なんと何と!我が家のピヨちゃんたち!パクパク食べてくれます!!
ニワトリはカメムシを食べるんですね!
その事実を発見してしばらくは、カメムシを捕まえてはピヨちゃんに与えていましたが、ふと、ある事実に気がつきました。
カメムシ食べたら卵はどうなるの……?
今のところカメムシ臭い卵はありませんが、あんまり大量に食べるとカメムシ臭の卵が産まれるかも、、、

2015年10月18日日曜日

「存在すること」の力強さと、儚さ

今の学校に勤める前、山に仕事に行っているときのこと。
伐採した木を数メートルくらいに切ってそろえて積んでいきます。切った木を積んでいる上に置こうとすると、「??」木が思うように動かない?!
よく見ると、直径3ミリくらいの細いツルが1本がつながっていてそれで動かない・・。あらためてツルを引きちぎってやろうと、持つ手に力をこめて木を振ろうとしても・・・ツルは切れない。見た目は細くて弱々しいツルなんだけれども、ところがどっこい存在感を発揮している。
でも次の瞬間、腰ナタをそのツルにあてると、ぷつっと切れてしまう。あんなに力をこめても切れなかったものが、あっけないほど簡単に。。。
「存在すること」の力強さと儚さを感じた瞬間でした。

2013年12月21日土曜日

くしゃみをして褒められた!

田舎の人と交流をしていて癒されることがあるが、そのひとつに「褒め上手」がある。
もちろん、自分の家族に対してはそんなに「褒め上手」ということはなさそうだが、他の人への言葉掛けで、とにかく上手に褒める。
今日はみんなでしめ縄を作っていたのだが、そのときにくしゃみをした。なんとそのくしゃみを褒められたのだ。
「なんと是さん、若いなぁ!勢いがある!」
くしゃみをして褒められたのは人生初体験だったが、まんざら悪い気分でもなかった(笑)。

2013年11月6日水曜日

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その8

その3では「学校があるから地域が衰退する」というショッキングな書き方をしましたが、学校は地域にとってかけがえのない存在であることには間違いありません。

地域の運動会や文化祭が行われて、年に数回程度ですが、校区内の地域の多くの人が一同に会する機会を持つことができます。今津西地区では、学校行事だけでなく「ふれあいお楽しみ会」などとして、学校行事以外でも集まる機会を持っているくらいです。地域間の交流が大切であることの表れだと思います。

そして「子ども」という存在自体が持つ意味。「尊さ」と言っても良いのではないかと思います。地域に子どもがいて、学舎があり、そこで育つ、ということは「未来」を感じさせるかけがえのないものだと思います。ただこれを定量的に証明することは残念ながらできないのですが。
椋川には小学校はありませんが、今はECC学園という通信制の高校なっています。時々スクーリングで生徒たちがやってくると、授業のチャイムが鳴らされるのですが、「このチャイムの音がなんとはなしに嬉しいんや。生徒の声も一緒に聞こえたりするし、にぎやかでええの」と嬉しそうに話してくれるおばあちゃんがいます。チャイムの音にいろいろな思い出も重ね合わせているのだろうな、と感じています。

ただ、気になることもあります。
地域出身の子どもがいなくなると、学校への熱が少し冷めてしまう、という事があるように感じます。もちろんそれとは関係なく、熱心に学校のお手伝いを続けてくださる方もおられますが、総じて「冷める」傾向は否定できないと思います。というか、直接的に関わる地元の人がいなくなるわけですから、当然と言えば当然なのですが。

逆に考えれば、直接的に関わる人がいないにもかかわらず、学校へ関わり続ける地域の人たちが多いという事実から地域にとっての学校のかけがえのなさを感じ取ることができるともいえます。

~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~

この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その7

その6からのつづきです

この文書自体は、とても大事なことで、私たちが子どもが教育を受ける権利を保障するものです。当然なくてはならない書類なのですが、いざこの書類に印を押す、ということは、今まで椋川の人が大切に守ってきた学校を無くしてもいいですよ、と判断することに違いはありません。(形を変えて残るわけですが・・・)

たしかにこの段階では、「廃校にしてECC学園高校を誘致する」という集落内での合意もできていましたが、こんな大事な事の、しかも結論が決まっているのに最後に必要なのがボクのハンコかっっ?!

その6で割愛しましたが、椋川分校の歴史に少し触れさせてください。
椋川分校は昭和53年に建て替えられましたが、平成元年から生徒数がゼロになり、休校状態となりました。その後平成6年頃に、椋川分校の裏山が「椋川山の子学園」キャンプ場として整備されてキャンプ場の避難施設として、また今津町や近隣の小中学校の林間学校の会場としても活用されてきました。その間もずっと椋川区婦人会が月2回の割合で校舎の清掃、整備を続けてくださっていました。椋川の先人が作った学校を大切にしよう、子どもが来たらまたここで学んでほしい、そういう気持ちがこもっていたのだと思います。ECCの方が来られて、校舎を見学したときにあまりのきれいさに「本当に20年も休校だったのですか?」と言わしめるほどでした。本当に本当に大切にされてきた学校だったのです。

そいて、いよいよ椋川に子どもができて、子どもの声が響き渡るか・・と思いきや、そうとはならず廃校になってしまう。椋川の歴史と住んでいる人の思いがつまった学校を、地元で育ってもいないよそ者のハンコで決まってしまう。。。

地域の人の同意がすでにあったとしても、本当にこれは辛かったです。
現に、女房は「絶対に印は押さない。押すならあなたが押してね」と言いだし、これに関しては口もきいてくれませんでした。
最終的には、私が印を押すことになるのですが、これは今でも不幸な思い出として刻み込まれています。いくらECCが学校として成功して、椋川が元気になったとしてもしこりのように残ると思います。

それにしてもこの書類、地区全体の人からとか、該当地区の区長全部からもらうとか、そういう形にならないものでしょうか・・・。こういう書類には2度とハンコを押したくないです。

~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~  ♪  ~~~

この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その6

じつは私、一つの学校を廃校にさせた経歴を持っています。
「高島市立今津西小学校椋川分校」です。
この学校は、現在、ECC学園高等学校という通信制の高等学校になっており、私の職場でもあります。

椋川分校の話をすると、それだけで5話くらいに話になりそうなので、大幅に割愛しますが、この学校は椋川出身の大谷仁兵衛さんが、大正時代に私費を投じて地元に校舎を寄贈された学校なのです。現在の校舎は、昭和53年に建て替えられていますが、地域の方の「おらが村の学校」という気持ちはとても強いのがよく理解できます。

さて学校が、統廃合されるときに誰の最終判断で決まるのか…?
教育委員会?市長?市町村議会?
じつは、その学校の学区内で暮らす子どもの保護者なのです。(こういう書き方が行政的に適当なのかはわかりませんが、わたしはそういうふうに捉えています)

私がこちらに引っ越した2001年当時、椋川分校にはすでに生徒はおらず「休校」の状態でした。ただ「休校」の学校は、あくまでも休ませているだけで、その学区域に生徒がいて保護者が求めれば、たとえ生徒数が一人でも「休校」を解いてそこに子どもを通わせることができるのです。

さて、もう7年前になるでしょうか、ECCが学校を作るために高島市や地元と協議を重ね、学校を作る方向で結論がでます(私もその協議を間接的に知っていました)。小学校を高等学校にするわけなので、「休校」ではなく「廃校」にする必要があります。椋川分校が小学校としての役目を永久に絶たれることを意味します。もちろん私の子どもが椋川分校で学ぶこともできなくなります。当時、椋川にいる子どもは私たちの子どものみ。増える見込みはありません(子どもを増やしたいという意気込みは120%でしたが…)。廃校になった場合、約6キロ離れた本校に通うことになりますが、椋川の環境とよく似ているし、すでに何度も学校行事に参加していて学校の雰囲気もよく知っていました。「歩いて通える学校に行けない」という残念さは大きかったですが、替わりにできるものも「学校」だし、椋川の自然や文化を活かして地域と人とも交流できるので、今後の椋川のむらづくりにもプラスになるだろう、という判断でモヤモヤした思いはたくさんありましたが廃校に「賛成」でした。

椋川分校が廃校となる方針が決まった後、ある日家に教育長さんが書類に書名捺印をしてください、と来られます。その書類は、「我が子を椋川分校に通わせない」という意思確認書(同意書?)でした。もし私がこの書類に印を押さなければ、廃校方針は撤回され、高等学校もできないということになります。
この文書自体は、とても大事なことで、私たちが子どもが教育を受ける権利を保障するものです。当然なくてはならない書類なのですが、いざこの書類に印を押す、ということは、今まで椋川の人が大切に守ってきた学校を無くしてもいいですよ、と判断することに違いはありません。(形を変えて残るわけですが・・・)

その7につづく


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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その5

小規模学校でやり玉にあがるのが運動会です。
全校児童6名の小学校では、50・80・100m走の競技はすべて一人で走ります。競走する相手は、自分。過去のベストタイムとの競走になります。広いトラック、をたった一人で走るわけですから、傍で見ていると寂しいことこの上ないことになります。
普通なら6人くらいが走って、1着から6着までの順位が決まる。1着を喜ぶ子、2着で悔しがる子、5着で居場所無さそうに肩を落とす子。何着になっても別に~という様子の子。この悲喜こもごもな様子(経験)がないとなにか寂しいというか、いずれ投げ込まれるであろう競争の海で大丈夫なのか、という心配がよぎってしまうのでしょうか...。

さてちなみに前回の運動会では、ヨーイドンで一人ずつ走り、長女はベストタイムに0.1秒届かず、長男はベストタイムを更新、という結果でした。
運動会が終わって、子供たちに、今日はどうだった?と感想を聞いてみました。長男は「一輪車に乗れるようになった!」で、長女のほうは「お弁当を食べるときに、村のおじいちゃんに『速く走れるようになったな、とほめられた』こと」と答えました。ベストタイムには届かなかったけれど、お弁当の時に横で食べていた近所のおじいさんは、去年より足が速くなったのを感じて褒めてくれたんですよね。

この言葉を聞いたときには「本当にこの学校でよかった」と心底思いました。
地域の中で暮し、そして自分もその人たちに見守られて育っているんだ、ということを子どもも実感できたと思います。

地域の教育力向上とか地域の絆づくりとか、地域の見守りリーダーづくりとか、散り散りバラバラになってしまっている地域コミュニティを再生させるべく、税金と労力を使っていろいろな試みが行われていますが、この過疎の山里ではそんな試みをする必要もなく当たり前に地域との絆をはぐくむことができると感じています。

人間、一人では生きていけません。協力し合うことはもちろんですが、自分が社会の中にいて、その一部として生きているんだ、という実感がとても大切です。働いていれば、社会的地位につければ、それでよい、というわけではないのです。働き盛りの人が、社会的地位にある人が自死することは珍しくありません。自死を選択する人の理由はいろいろあるでしょうが、社会の中で自分が生きているんだ、という実感がある人は、そう簡単には自死という選択はしないと思っています。

そうそう、10行くらい上に「当たり前」と書きましたが、住んでいれば当たり前に絆が育まれるか、といえばそうではないと思います。
親が地域とのかかわりを持ち、そのことを子供に伝え、その姿を見せる、これがなければ子どもが地域との絆を感じることは難しいと思っています。

ということで、広い運動場を一人で競走する姿を挙げて、「これでは可哀想だ」「こんなことでは競争社会を生きていけない」というご指摘には、私は同意できません。少なくとも私の子どもにとってはかけがえのない経験の場であると感じていますゆえ。

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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。
小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかってもらえるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その4

その3にある「2家族」のうちの1家族のお父さんはよく知っています。
何度かお酒を飲みながら話をしたことがあります。
引っ越すにあたっては本当に悩まれていました。同郷の同世代はどんどん郷を離れ、町に引っ越し行きます。でも彼はその流れには乗らず、郷里での暮らしを選択し(長男だったので選択せざるえなかったのかもしれませんが)、結婚後も郷里で暮らしていました。でも子どもが大きくなるにつれ、子どもにせがまれるようになります。
「大きい学校に行きたい!」「どうして通えないの?!」
これは親としてつらい言葉です。
これがまだ他に同じような子どもがたくさんいれば「ここからは通えないんだ。中学校まで待とう」と声をかけられるかもしれません。でも、その子はまわりの友達がどんどん町に引っ越すのを見てきているし、当然、親はそのことを知っています。
この話をしながら、ラグビー選手のように大きい体の彼が、身体を震わせ泣いていたのをよく覚えています。

彼にこの話を聞いて以後、地域の人に「どうして息子さんたちは他所で暮らすようになったのですか」と聞き回りました。
「勤め人になって、通勤が大変だから」「雪が多い地域だから冬の通勤が大変」という理由が当然多いのですが、中には「子どもをこんな小さな学校に通わせても競争がないからあかん。だから町に住まわせた」と言われる人も結構おられました。
思うに、「仕事理由」と答えた人の中にも少なからず「子ども(孫)理由」の人も多いと思っています。なぜなら、椋川からJR駅まで車で25分。学校のある地区からならば15分程度で駅まで行くことができます。大阪や京都まで通勤しているのであればいざしらず、高島市内の職場で働く人ならばそれほどの通勤時間ではありません。冬場にしても、除雪体制が整ってきているので、よほどの大雪でなければ朝の7時には道はしっかり除雪されます。確かに雪かきは大変ですが、この地域がそんなに「不便」な場所には私には思えないのです。

高度経済成長という時代背景はあったにせよ「競争しなければ子どもは育たない」という考え方がしっかりあって、こんな田舎に住んでいても「芽はでない」的な感覚が支配的だったといえます。
木材の価格も高かったので、山を売って、子どものために町に家を買った、建てた人はとても多かったのだろうと思います。

若者が地域から出て行ってしまったのは、「産業構造が変わって仕事が無くなったから」という社会的要因だけでなく、「地域に残った親たちが意図的に行った(行わざるえなかったのかもしれませんが・・・)」という要因も無視できないくらい大きいと思います。そして、地域に暮らしたいと願った最後の若者夫婦は、我が子の「大きい学校に行きたい」という声で、町にでる選択をせざる得なかったのです。

中山間地にある学校が加速度的に児童数を減らしたのは、このような構図があったのです。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その3

「学校があるから地域が衰退する」
???どういうこと???逆じゃないの???
と、100人中99人以上の人は思うはずです。私もその一人でした。
でも、この言葉、あながち嘘ではないのです。
というよりはむしろ、日本中の小規模学校の周りの地域で起こっている、と想像できます。でも、そのことを都会に住む人は想像だにできないし、また地域の人もあまり語ろうとしません。

「学校があるから地域が衰退する」
この理屈は簡単いうと以下のようになります。

①小規模学校がある
→
②子どもをそんな学校に通わせたくない
→
③でも、学区制があるから他の学校に通わすことは不可能(近くに私立学校があれば別)
→
④小規模でない学校の校区へ引っ越す
→
⑤子育て世代が地域からいなくなる
→
⑥ますます学校が小規模になる
→
②へもどる・・・・

なるほど、その通りなのです。ものすごいスパイラルですよね。

ちなみに私が椋川へ来てからでも2家族が、上の図式にしたがって駅に近い学校の校区へ出て行っています。

地域から人口が流出した理由は「産業構造が変わって仕事が無くなったから」だけではなかったのです。もちろん、これは大きなインパクトだったのは間違いないのですが、とどめを刺したのが上に書いたスパイラルなのです。

(その4につづく)

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その2

小規模学校となると、このご時世、統廃合問題が必ず降りかかってきます。私が椋川に引っ越してきた2001年、この学校はすでに全校生徒が10数名だったと思います。普通ならとっくに統廃合されていてもおかしくない状況ですが、この学校はそのような議論すら無かったようです。それというのも地域の方が学校を守ろうと、山村留学の子どもを受け入れたり、校区外からの入学を認める「山里通学」をしていたからです。山村留学の先進地へ地域の方が視察研修に行ったりもしたそうです。
現に、2001年当時の在校生のうち、地元生まれの子どもは半分くらいで、残りの半分は親子でこちらに越して来た子や、「山里通学」の子どもでした。ただ、子どもだけを受け入れる「山村留学」は、里親となる地域の方が高齢化などで受け入れる世帯が無かったようで、実現はできなかったと椋川のある方が話しておられました。

親子で移り住む「山村移住」の場合は里親の心配はなく、親子が一緒に生活するので実現のハードルは低くなります。でも、やはり問題はあります。家の確保や、親の仕事といったハードの面です。当時の小学校の校長先生がとても積極的で、親子の受け入れのみならず、空き家の確保や職探しに奔走されていたのをよく覚えています。
とはいえ、家が見つかって親子が入ってもなかなか大変なのです。

入ってきた親子(特に親のほう)と地域の関係です。
子どもは学校さえなじむことができれば、順調にいくようです。ただでさえ子どもは適応力は大きいですし、仮に、人付き合いが苦手な子どもでも少人数の学校なので先生のフォローがしっかり行き届きますので・・・。
一方、親の方は難しい。私が知っているだけでも2世帯の親子が卒業を待たずに親の都合で転出していきました。
一方の家族は、父親の仕事が収入面で見つからなかったことと、母親が田舎暮らしになじめなかった事。
もう一方の家族は、家主の承諾を得ずに犬をたくさん飼育(ブリーダーとして)しはじめ、家主はもちろん地域の方とももめてしまい出て行くことになりました。
特に後者の家族を受け入れていた地域はその「事件」以降、家族受け入れの方針を180度転換して、「受け入れ拒否地区」となってしまっています。
もちろんうまくいっていた親子もあるので、上の例は個人的な選択ミスとも言えなくもないのですが、前者の家族の場合は、事前の十分な情報交換や準備ができていたのか、後者の場合は親子ー学校ー地域の連携がうまくとれていたのか、という懸念はあります。後者の場合は、地域の方針まで変えてしまった訳で、その後の学校の生徒増加の取り組みのブレーキになってしまったことは間違いありません。

とはいえ、成功と失敗がありながらも、地域の支えで小さな学校が統廃合の対象とならなかった事は紛れもない事実だと思います。

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その1

私の子どもが通う小学校はこの春までは全校生徒3名、4月からは6名になりました。それでも高島市、いや滋賀県でも最小規模の学校です。
この学校に子どもを通わせ始めてから5年目になり、一番上の娘が5年生です。その下に3年生、さらにこの春入った1年生。3年後の春にはさらにもう一人が入学予定です。

長女が小学校に入学した5年前は6年生2人、4年生1人、1年生2人。
長女を入学させる前から、夫婦でいろいろと話し合いましたが、ふたりともも普通の町育ち。私の出身小学校は1学年3クラスでしたし、女房の方は6クラスでした。当然、こんなに小さな学校に通わせるとどんな感じになるのか、全く想像もできませんでした。

漠然とした不安はあるものの、学校行事には以前から参加していたので雰囲気も知っていました。地域ぐるみの運動会や文化祭、全校でおこなう稲作り、地域学習などなど。まさに地域に見守られ、育てられている実感120%の学校という印象でした。何より自宅と同じような環境で子どもの学び場があるということは素晴らしいことでこの気持ちはいまでも全く変わりがありません。